起業してすぐに大成功!株式会社ピーノコーポレーション松原博紀
2018.2.14 サービス黒部市で初の店舗をオープンさせいきなり大成功を収めた松原氏。
彼の幼少期や今後の展望についてまとめました。
松原博紀氏プロフィール
1977年富山県に生まれ、高校卒業後飲食業界に入ります。
富山市と黒部市でお店をオープンさせた後東京に進出します。
最近注目されている若手経営者の一人です。
小さい頃の松原氏
ピーノコーポレーションを経営する松原氏の幼少期はどんな子どもだったのでしょうか?
彼の父は大工でバブル経済成長の影響もあり忙しかったため、あまりゆっくり話したことがなかったそうです。
母方の実家である宇奈月町に移り住み成長します。
当時、母方の祖母が旅館を経営しておりそこで生活を始めます。
小さい頃は母親の体が弱かったので祖母に世話をしてもらっていた松原氏はいたずらばかりしていたそう。
旅館の裏に山があり、そこで走り回ったり、山菜などを採ったりして元気いっぱいの幼少期を送っていました。
その頃の彼はありふれた元気な男の子で、起業するなどとは全く考えていませんでした。
ただ、自然と触れ合って成長したことで彼が今持っている純粋さと素直さが培われたのでは?と感じているとか。
起業してすぐ成功した秘訣
黒部市というところには大きな企業の事業所や支店などがあるため周りに飲食店が多いのですが、若い女性が好むような飲食店はなかったそうです。
松原氏はその部分をターゲットにし出店したのが成功の秘訣だと言います。
さらに、ビジネスウーマンのライフスタイルを考慮し、ランチタイムや仕事が終わった後のアフターファイブ、休みの日など、さまざまな女性のニーズを取り込むための作戦を考えました。
たとえば、ノンアルコール系のドリンクやデザート類を豊富に取りそろえたのもその戦略の1つだと言います。
その狙いが当たり、お店は地元の働く女性を中心に常に満席状態で客単価はなんと4500円となり、周りのお店よりかなり高かったというから驚きです。
その後、さらに広い物件にお店を移した後も相変わらず満席状態をキープし続けています。
今後の展望
松原氏の今後の展望は今よりさらにさまざまなことを学び、資金を蓄えるいわば充電期間ととらえています。
さらに、その後すし居酒屋をパッケージ化して東京に出店後、関東エリアをベースに店舗展開を行っていこうと考えています。
もちろん、海外への出店も考えています。
彼が考える飲食業の意義とは生産者とお客さんとの中継ぎの役割だそうで、そういった気持ちも含めて富山で獲れる新鮮でおいしいお魚を全国に発信し続けていきたいと考えています。
彼は食文化の発展と継承のため100店舗を目標に、店舗展開をし続けていきたいと強く思っています。
経営は大変な時もあるものの、目標が達成された時の喜びが大きいので目標に向かって突き進むためにも経営を続けていきたいと語ります。