形に残るモノづくりを継承したい!株式会社九秀製本ドットコム宮地啓一

2018.2.15 その他

 

 

ネットが普及する現在、形に残るモノづくりを大切にする九秀製本ドットコム宮地氏。

九秀製本ドットコムの製本技術の素晴らしさ、さらに、営業職から事業継承までどういったいきさつがあったのでしょうか?

 

 

 

 

宮地啓一氏プロフィール

 

1959年7月10日生まれ。

短大を卒業後、印刷機材を扱う販売代理店に就職。

その後退職し、父親が経営する九秀製本センターに就職。

その後、社名を九秀製本ドットコムに変更し現在にいたります。

 

 

 

 

最新機器を使った製本所九秀製本ドットコム

 

 

九秀製本ドットコムという社名は九州で一番秀でた会社になって欲しいという気持ちから先代が名付けた社名です。

他の会社では真似することのできない製本ラインのシステムを作り上げ、質の高い本を素早く提供できる会社として現在知られるところとなりました。

お客様はその製本のはやさに驚き、よくここまでできたね・・と言ってくださるほどだそう。

 

日々新しい機械を使い製本を行っている九秀ドットコム。

その機械の数はなんと20にものぼり、数千万円もの機械もあるそうで、一番高いものだと1億円を超えるとか。

これだけ製本機械が揃っている会社は九州では他になく、扱えるのは若い人が中心だと言います。

そのため、九秀ドットコムでは若い人にどんどん活躍してもらいたいと考えています。

現在、従業員は30名にまで増え、月刊誌や専門誌、雑誌や情報誌、カタログやカレンダーなどの製本を行っているそう。

 

また、製本技術の進化にともない九州ではここだけが導入しているシステムを使って、高い生産性と小ロット製本を実現しました。

このシステムは針金を使った従来の製本に比べ、環境に配慮した高い品質の製品を提供できるシステムとして知られています。

 

 

 

 

九秀製本ドットコムに入社までは営業マン

 

 

彼は学生時代中学校から大学まで山岳部に属し、自然に親しんできました。

父親が製本業を立ち上げたのを見て育った彼は将来自分が父の創業した会社を継承したい・・と考えるようになっていきます。

 

大学を卒業後、彼は印刷機材を扱う販売代理店で営業として就職。

印刷機材の販売代理店の営業と言っても派手な仕事ではなく、実際にはきつくて汚く、暗いという3Kの仕事だったそう。

そんな営業の仕事をしている中、先輩や上司などに叱られながらも営業の基本をしっかりと身につけ5年間働いたと言います。
その後結婚をきっかけに退職。

父親が経営する九秀製本センターに就職します。

その当時の社員は12名だったそうで、営業部に配属され少数精鋭で日々事業を行っていました。

彼は営業の業務の他時に工場で製本作業も行い、工程や現場を間近で見て自分のものにしていったのです。

 

 

 

 

紙媒体の価値を大切に

 

 

現在、ネットが普及する中で情報があふれかえっています。

そんな中、紙媒体で情報を伝えています。

紙はネットとは違い、手にした時の質感は紙ならではの価値があり、形に残るものです。

そんな形に残るモノづくりをこの先も続けていきたいと考えています。