秋田にプロバスケットボールチームを!秋田プロバスケットボールクラブ株式会社水野勇気

2019.1.11 その他

 

 

資金も人脈もなかった水野氏は行動を起こすことから始め秋田にプロバスケットボールチームを設立します。

彼は何より行動を起こすことが成功につながったと確信しています。

 

 

水野勇気氏プロフィール

 

東京都生まれ。

大学卒業後2008年秋田プロバスケットボールチームを作る会を発足させます。

2009年、秋田プロバスケットボール株式会社代表取締役社長に就任し現在にいたります。

 

 

アメリカ留学から始まった秋田との縁

 

水野氏は東京都出身で高校卒業後アメリカ留学を経験後秋田市内に設立された大学に入学したことで秋田との縁が始まったと言います。

大学時代、オーストラリアの大学にも1年間留学した彼はアメリカとオーストラリアで見たプロスポーツの世界に刺激され、彼自身プロバスケットボールシチームを創りたいと思うようになります。

2007年に秋田プロバスケットボールチーム設立検討委員会のメンバーとして加わり、BJリーグ加盟に向け行動し始めた彼に人脈や後ろ盾は全くなかったため、秋田にプロバスケットボールチームなどできるはずないと言われることもあったそう。

彼はその後貯金を切り崩しながら周りからの差し入れなどで食事を賄っていた貧乏生活を送っていました。

そんな中、事業計画書を作り資金提供をしてもらえそうな企業に打診しながら、署名活動を行います。

当時活動に参加していたのはたった数人だったそうで、冷たい声があったものの、前向きな応援の声も次第に増えていきました。

その後、任意団体を立ち上げることに成功した彼は1,000万円の資金を集め運営会社を設立。

資金を提供してくれた人の推薦もあり、社長に就任します。

 

 

行動力が原動力

 

たった26歳で社長になった彼はとにかく10年間は一生懸命仕事をしようと決意します。

26歳で社長になるというのはいくら起業したいと思っていても簡単なことではありません。

彼には特別お金があったわけでなく、自分1人で立ち上げられると思ってはいなかったそうで、資金を集めるための事業計画書を作っていたら多額の出資をしてくれた人が社長をやるように言ってくれ、ずっとやりたいと思ったことが想像以上に早くかなったのだとか。

最初、資金集めにこれと言った人脈もなかった彼はなんとかなるという気持ちと同時に1億円なんてお金をどうやって集めようかという気持ちがあったと言います。

ですが、とにかく行動すれば道が開けていき、自分自身が行動することでさらに周りの人から助けてもらうことができ、応援してもらいながら問題がどんどん解決されていくという好循環になっていったと言います。

その時、彼が実感したのは本気になって行動すれば世の中は変えられるということだったそう。

たとえば、つくる会一つとってみても、最初は駅前で署名活動を行うことから始めたものの、次第に応援してくれる人が増えていったという具合です。

それは自分たち自らが徹底的に行動したからこそだと実感しています。